インド取材記、カジュラホ2日目・カジュラホ遺跡西の寺院郡 ホバール1日目 2月25日目。


6時過ぎに起床、ホテルの屋上に上がるが、もやっていて朝日は望めず。
7時前に昨日露天で頼んだ洗濯物を受け取る、110ルピー。

その後、再び西の寺院郡へ、
正面は東向きなので、朝の光で撮りたかったのだが、天気はいまひとつ。
カジュラホの西群の寺院。

イメージ 1

イメージ 2
8時過ぎ観光客が増えて来たので、ホテルに戻りチェックアウト。
今日は一日かけてバスと列車を乗り継ぎ、ジャンスィー経由でホバールへ向かう移動日。

歩いてバススタンドに向かおうと思ったが、
「朝食代を稼がせてくれ」と懇願されてリクシャーに乗る、10ルピー。
8時半過ぎにバススタンド到着、チャイを一杯、5ルピー。
他の客はアメリカ人のバックパッカー2人とインド人数名。

8時40分にけたたましくクラクションを鳴らして、バスが到着、すでに満杯。
バックパックを屋根の上に載せ、カメラバックのみ持って、強引に車内に乗り込む。

ここから約4・5時間も、満員の車内に立ったまま行かなければならないのかと思うと、
先が思いやられたのだが、
車掌が観光客が優先的に座れるようにしてくれたので助かった。
席を代わるように言われたインド人も誰一人文句を言わないのはお国柄か。

8時45分、客が全員乗り込むとバスはすぐに発車、25ルピー。
9時まで時間があるからと、ゆっくりと歩いていたら乗り過ごす所だった、危ない危ない。

バスはかなりの年期もので、席もかなり狭くぎゅうぎゅう詰め。
となりのアメリカ人のバックパッカーはかなり窮屈そうだ。

少し落ち着いた所で、となりのアメリカ人に話しかける。
仕事をやめて、友達と2人で6ヶ月間の予定で、中国・チベット・ネパールと廻り、
インドにやって来たそうで、インドはゆっくりと旅する予定らしい。
旅の予算は2人で一日20~30ドルとかなりの低予算。
部屋代は1人でも2人でも変わらない所が多いが、遺跡の入場料はそこそこするし、
この予算では、移動はバスか列車の3等車、食事は屋台になると思う。

「途中何かすごい経験とかした」と聞いたら、一つすごいのがあるとのこと。
夜中に部屋がすごく煙たくなったので、廊下に出てみたら煙が充満していて、
あわてて2人で荷物を持ってホテルの外に出ると、すぐにホテルは焼け落ちたそうだ。
その後半狂乱のオーナーが2人に詰め寄り、
「火事になったのはお前たちのせいだ、弁償しろ」とまくしたてられ、大喧嘩になったそうだ。
その後、別のホテルに移ったそうだが、何ともすごい経験。

10時過ぎにバスは終点へに到着。
ジャンスィーへは乗り換えが必要ということで、別のバスに案内してくれる。
今度は後ろの荷物室にバックパックを入れ車内へ、始発なので座れた、75ルピー。

10時半前に出発、途中街の数カ所で客を拾い、満員のバスは郊外へ走り出す。
乗り心地は良くないが、うとうと仕始めた所で事件は起こった。

車内は大騒ぎ、一瞬何が起こったのかわからなかったのだが、
バスに酔った子供が満員の車内で吐いたみたいで、周りの大人に抱きかかえられて窓ぎわに。
周りのインド人は、タオルで汚れを拭っておしまいという感じだったが、
頭からかけられた先程のアメリカ人のバックパッカーは怒り心頭。

立ち上がって大声で怒鳴りまくる、バスが何事もなく走り続けていることにも腹が立っている様子。
周りのインド人になだめられて、ようやく落ち着き、
友達からもらったトイレットペーパーと水で汚れを拭いていた。

自分が何より驚いたのは、インド人は汚いとかいうことに、ほとんど平気なこと、
街がめちゃめちゃ汚いことの理由がわかる気がする。

1時半、観光地のオルチャ遺跡でアメリカ人のバックパッカー2人は降りて行った。
ほどなくジャンスィーの街に入り、1時45分にバススタンドに到着。

バススタンドから、オートリキシャーでジャンスィー駅に移動、50ルピー。
2時に駅に到着、比較的新しく綺麗なほう、インターネットカフェみたいなものもある。

待ち時間は長かったが、観光する気になれず待合室で過ごす。
昼飯と夕食用にパン4つとミネラルウオーターを購入、全部で50ルピー。

予定を1時間少し遅れて、6時40分にホバール行きの列車出発、2A寝台で約600ルピー。

10時過ぎ、30分遅れでホバール到着。
ほとんどの駅中にあるリタイアリングルームと呼ばれる宿はあいにく満室。
オートリキシャーの紹介で駅近くのホテルへ向かう、25ルピー。
高いホテルが多く数件廻るが、疲れたので妥協、400ルピーの宿に決める。
一日移動でとても疲れた。