風景写真家・西川貴之の気まぐれブログ

絶景を愛する風景写真家・西川貴之のブログです。絶景本への写真掲載、カメラ雑誌への寄稿多数。2007年冬季から現在までの撮影取材記をアップしています。撮影に役立つ情報満載ですので、ぜひご覧ください。

タグ:インド

インド取材記、サーンチーの仏教遺跡 2月26日分。


ホテルを7時にチェックアウト、少し風邪気味、チェックアウト時に税金40ルピー支払う。
オートリキシャーで駅に向かうが、歩いてもすぐの距離ですぐ到着、20ルピー。
昨日あっちこっちのホテルを廻ったのでいまいち自分の居る場所がわからなかった。

駅で、サーンチー行きの列車のチケット購入、25ルピー。
待ち時間に朝食をとる、53ルピー。
8時に各停の列車でサーンチーに向かう、所要約45分。

8時50分にサーンチーの駅に到着、帰りの便は9時55分と16時35分の2便だけ。
急いでオートリキシャーで仏教遺跡に向かう。
途中のチケット売り場でチケット購入、5ドル。
ここからはかなりの上り、歩いたらかなりきつそうだ。

9時過ぎに山の上にある仏教遺跡到着、入り口でセキュリティチェックを受ける。
三脚禁止で持ち込めないため、バックパックごと預けることにするが、
預かり所がないので、案内板にチェーンでくくり付けておく。
荷物は、駅前のホテルで預かってもらうこともできる、20ルピーとのこと。

世界遺産にも登録されている仏教遺跡内には、直径37m,、高さ16mの大ストゥーパがある。
アショーカ王が基礎を作り、その後紀元前2~1世紀に完成した。
塔を囲む四方の塔門(トーラナ)は、見事な彫刻で有名。
彫刻は北側が最も美しいが、どうしても光線状態はよくないのが残念。
訪れる観光客は、かなり少ない感じ。

サーンチーの仏教遺跡。

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山の上にあるので、青空は清々しく時間があればゆっくりとしたいところだが、
帰りの時間が迫っているので、オートリキシャーでとんぼがえり。

9時40分過ぎに駅に戻る、なぜか帰りの便は23ルピー。
チャイを一杯(3ルピー)飲んでゆっくりとしていると、
10分遅れで列車到着、外人客は韓国人の女の子のバックパッカーと自分の2人のみ。

11時にホバールの駅に戻り、昼食、30ルピー。
ここからジャルガオンまで2A寝台の列車を予約してある、約740ルピー。
しかし電光表示を確認すると、12時発の予定がすでに2時間遅れ。

その後も確認の度、どんどんと遅れていき、
結局3時間半遅れで3時半に出発、待っているだけでどっと疲れた。

夜11時20分に、3時間20分遅れでやっとジャルガオン駅に到着。
風邪がややひどくなり、バックパックがすごく重く感じる。

急いで駅中にあるリタイアリングルームと呼ばれる宿に向かうが、
係の人によると、部屋はあいているものの、
駅に関する全てのインフォメーションを扱うエンクワイアリーで、
チケットを買わないと行けないとのこと。

しかたなく重い荷物を担いで、反対側の駅出口にあるエンクワイアリーに向かう。
夜遅いのにもかかわらずエンクワイアリーには行列が出来ていて、がっくり。

しかしあっと言う間に順番が廻ってくる、助かった。
シングルルームはなく相部屋のドミトリーになるとのことで、部屋代は200ルピー。
例によって、宿帳に事細かく記帳しなければならないのは、
疲れがピークに達している身には、すごくこたえる。

なんとかチケットを手に入れ、重い荷物を担いで再びリタイアリングルームに戻るが、
ここでも宿帳に事細かく記帳させられる、どちらか1箇所にしてくれって感じ。

11時50分、やっと部屋に入れた。
ドミトリーというから、人がいっぱいかと思っていたら、
広い部屋にダブルベットがあるだけで、他に誰もいない貸し切り状態、しかもとても綺麗。
毛布はなかったが、だいぶ南に下って来たので、全然寒くはなかった。

インド取材記、カジュラホ2日目・カジュラホ遺跡西の寺院郡 ホバール1日目 2月25日目。


6時過ぎに起床、ホテルの屋上に上がるが、もやっていて朝日は望めず。
7時前に昨日露天で頼んだ洗濯物を受け取る、110ルピー。

その後、再び西の寺院郡へ、
正面は東向きなので、朝の光で撮りたかったのだが、天気はいまひとつ。
カジュラホの西群の寺院。

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8時過ぎ観光客が増えて来たので、ホテルに戻りチェックアウト。
今日は一日かけてバスと列車を乗り継ぎ、ジャンスィー経由でホバールへ向かう移動日。

歩いてバススタンドに向かおうと思ったが、
「朝食代を稼がせてくれ」と懇願されてリクシャーに乗る、10ルピー。
8時半過ぎにバススタンド到着、チャイを一杯、5ルピー。
他の客はアメリカ人のバックパッカー2人とインド人数名。

8時40分にけたたましくクラクションを鳴らして、バスが到着、すでに満杯。
バックパックを屋根の上に載せ、カメラバックのみ持って、強引に車内に乗り込む。

ここから約4・5時間も、満員の車内に立ったまま行かなければならないのかと思うと、
先が思いやられたのだが、
車掌が観光客が優先的に座れるようにしてくれたので助かった。
席を代わるように言われたインド人も誰一人文句を言わないのはお国柄か。

8時45分、客が全員乗り込むとバスはすぐに発車、25ルピー。
9時まで時間があるからと、ゆっくりと歩いていたら乗り過ごす所だった、危ない危ない。

バスはかなりの年期もので、席もかなり狭くぎゅうぎゅう詰め。
となりのアメリカ人のバックパッカーはかなり窮屈そうだ。

少し落ち着いた所で、となりのアメリカ人に話しかける。
仕事をやめて、友達と2人で6ヶ月間の予定で、中国・チベット・ネパールと廻り、
インドにやって来たそうで、インドはゆっくりと旅する予定らしい。
旅の予算は2人で一日20~30ドルとかなりの低予算。
部屋代は1人でも2人でも変わらない所が多いが、遺跡の入場料はそこそこするし、
この予算では、移動はバスか列車の3等車、食事は屋台になると思う。

「途中何かすごい経験とかした」と聞いたら、一つすごいのがあるとのこと。
夜中に部屋がすごく煙たくなったので、廊下に出てみたら煙が充満していて、
あわてて2人で荷物を持ってホテルの外に出ると、すぐにホテルは焼け落ちたそうだ。
その後半狂乱のオーナーが2人に詰め寄り、
「火事になったのはお前たちのせいだ、弁償しろ」とまくしたてられ、大喧嘩になったそうだ。
その後、別のホテルに移ったそうだが、何ともすごい経験。

10時過ぎにバスは終点へに到着。
ジャンスィーへは乗り換えが必要ということで、別のバスに案内してくれる。
今度は後ろの荷物室にバックパックを入れ車内へ、始発なので座れた、75ルピー。

10時半前に出発、途中街の数カ所で客を拾い、満員のバスは郊外へ走り出す。
乗り心地は良くないが、うとうと仕始めた所で事件は起こった。

車内は大騒ぎ、一瞬何が起こったのかわからなかったのだが、
バスに酔った子供が満員の車内で吐いたみたいで、周りの大人に抱きかかえられて窓ぎわに。
周りのインド人は、タオルで汚れを拭っておしまいという感じだったが、
頭からかけられた先程のアメリカ人のバックパッカーは怒り心頭。

立ち上がって大声で怒鳴りまくる、バスが何事もなく走り続けていることにも腹が立っている様子。
周りのインド人になだめられて、ようやく落ち着き、
友達からもらったトイレットペーパーと水で汚れを拭いていた。

自分が何より驚いたのは、インド人は汚いとかいうことに、ほとんど平気なこと、
街がめちゃめちゃ汚いことの理由がわかる気がする。

1時半、観光地のオルチャ遺跡でアメリカ人のバックパッカー2人は降りて行った。
ほどなくジャンスィーの街に入り、1時45分にバススタンドに到着。

バススタンドから、オートリキシャーでジャンスィー駅に移動、50ルピー。
2時に駅に到着、比較的新しく綺麗なほう、インターネットカフェみたいなものもある。

待ち時間は長かったが、観光する気になれず待合室で過ごす。
昼飯と夕食用にパン4つとミネラルウオーターを購入、全部で50ルピー。

予定を1時間少し遅れて、6時40分にホバール行きの列車出発、2A寝台で約600ルピー。

10時過ぎ、30分遅れでホバール到着。
ほとんどの駅中にあるリタイアリングルームと呼ばれる宿はあいにく満室。
オートリキシャーの紹介で駅近くのホテルへ向かう、25ルピー。
高いホテルが多く数件廻るが、疲れたので妥協、400ルピーの宿に決める。
一日移動でとても疲れた。


インド取材記、バラナシ2日目・ガートの沐浴風景 カジュラホ1日目・カジュラホ遺跡の西群の夕景 2月24日分。


宿の部屋は、通気口が外とつながっている為、
蚊が次々入って来て、気になって一晩中眠れない状態。
蚊取り線香を持ってこなかったこと、1階の部屋にしたことを痛切に後悔。
結局ほとんど眠れずに朝を迎えることになった。

まだかなり暗いうちからガートに向かう。
ガートでは深夜でも多いの人が行き交う、目覚めにティーを一杯、5ルピー。
火葬場のマニカルニカーガートでは、24時間火葬の日が絶えることがない、撮影は禁止。
ガートから見上げる月がとても綺麗だった。

今日もボートから、朝日にそまるガートと沐浴の風景を撮影。
バラナシのガートの沐浴風景。

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その後ドゥルガー寺院へ向かう。
「地球の歩き方」には、信者以外は入れないとあったが、
入り口に居た人によると入ってもいいとのことだった。
とはいえ一応遠慮して外観のみの撮影で中には入らず。

9時過ぎに朝食(80ルピー)をとり、ホテルをチェックアウト。
9時半オートリクシャーで空港に向かう、300ルピー。

途中、段差ではねて座席の幌の鉄枠で思いっきり頭を打つ、
強烈に痛く大きなたんこぶができた。
それ以来、幌の鉄枠部分に頭がこないように気を付けることにした。
インドでは、あらゆることに気をつけなければひどい目に遭う。

10時半に空港到着、運転手は厚かましく「駐車場代をくれ」と言うが、
300ルピーは結構いい値段なので、「自分で払え」と言って立ち去る。
だいたい帰りの客待ちの為の駐車場代まで払う義務なんてないのに。
インド人は、とにかくお金にシビアなのが多く、とりあえずだめ元で言うやつが多い。

空港の荷物のセキュリティチェックはとても厳重。
どうも個人旅行者は自分一人で、他の客は全てツアーみたいだった。

ジェットエアウェイは、インドでは数少ないまともな飛行機会社で機体も新しく人気がある。
11時40分機内へ、12時20分離陸しカジュラホへ向かう。
昼飯は、サンドイッチとジュース。

1時半にカジュラホ到着、新しく綺麗な空港、タクシーで街に向かう、150ルピー。
田舎の観光地とあってか、街も比較的綺麗な方。
2時にホテル到着、大理石の廊下や階段が売り物だが、部屋はいまいち、
オーナーは日本語堪能で助かるが、一泊385ルピーはやや高めの感じ。

その後、明日のバスの時間の確認と予約にバス停に向かう。
途中から日本語堪能な少年が道案内するといって付いてくる。
少し歩いてバススタンド到着。
予定していた11時出発のバスはなく、朝9時のバスにする。
予約の必要はなく、30分前に来たらいいとのこと。

その後、少年の案内でレストランへ、遅い昼飯をとる、65ルピー。
少年からチップを要求されるのかと思っていたのだが、
それじゃと言う感じで別れた、彼の目的は何だったんだろう、
単に暇だったのか、それとも親切だったのか。

その後レンタルサイクルを借りて、東の寺院郡を見に行く。
1日レンタル、25ルピー、夜8時までに返却とのこと、
最新型というけれど、日本の業務用みたいなタイプ。

4時過ぎに東の寺院郡到着、街の中心から5分程。
こちらはこじんまりしていて無料、夕日があたりとても綺麗。
撮影後、すぐに折り返して、街の中心にある西の寺院郡に向かう。

5時半に西の寺院郡到着、入場は250ルピー、なかなか見応えがあるが、修復中のものが多い。
正面は東向きなので、朝の光のほうがいいのだが、横や後ろ姿も絵になるので、夕方の光もまたいい。
ここは結構野生の猿がいて、遺跡との組み合わせはおもしろい感じがする。
日没まで撮影して、宿に戻る。

カジュラホの西群の夕景。

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夜は、近くで行われているインド舞踊(350ルピー)を見に行く。
1時間程のショーだったが、なかなか濃い内容。

8時にホテルに戻り、夕食をとる、140ルピー。
いまいちのカレーとぱさぱさのライスで味は最低だった。

インド取材記、バラナシ1日目・ガンガーの日の出・朝のガート・市内の大通り・ヴィシュワナート寺院・ラームナガル城・バーラトマーター寺院・プージャー 2月23日分。


バラナシはバナーラス、ベナラスとも言われるヒンドゥー教の最大の聖地。
聖なる河ガンガー(ガンジス)で沐浴すれば、すべての罪は浄められ、
ここで死に遺灰がガンガーに流されれば、輪廻からの解脱を得るという。

旧市街の河の西岸に沿って、60もの沐浴場(ガート)があり、
ガートは季節による水量の変化に対応する為、階段状になっている。

朝5時半起床、夜行列車は到着予定時間の4時40分から約2時間遅れで終点のバラナシに到着。
ホームに降り立つと同時くらいに太陽が昇ってくる。

沐浴の撮影は、朝の光が最適なので、急いでオートリクシャーで、
ガンガーの中心にあり最もにぎわうダシャーシュワメードガートに向おうとするが、
運転手は、コミッションのもらえるホテルに連れて行こうと必死の交渉。

「朝の撮影をしたいから先にガートに行ってくれ、ホテルはその後で決めるから」と言っているのに、
なかなか出発しないので、業をにやし降りようとしたところで、やっと出発。

しかし着いた所は、ガンガー沿いのホテル、いい加減嫌気がさしてくる。
「ホテルは後だ、先にガートに行って撮影してくる」と言って、
約束の60ルピーを払って行こうとすると「待っているからお金は後でいい」と言う。
本当はここで別れたかったが、お金を受け取らないので後で戻ることにして、
歩いてダシャーシュワメードガートに向う。

10分ほどで、ダシャーシュワメードガートに着く。
朝日にそまるガートと沐浴の風景は、とても感動的だった。

ガンガーの日の出。

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朝のガート。

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今度は、日本語を話すアミという少年が話しかけてきて、ずっと付いてくる。
どうも姉が日本に嫁いでいるので、日本語を話せるらしい。
アミに友達のミキを紹介してもらいボートに乗る、30分50ルピー。
暇だからといってアミも乗って来て、いろいろ説明してくれる。

てっきりガイド料とか請求してくるのかと思っていたのだが、
土産物屋で働いているらしく、「宿の約束があるので、戻らないといけない」と言うと、
待っているから後で店に来て欲しいということだった。

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ひと通り撮影してから戻る、運転手は待ちわびた様子。
何件か宿を見に行くが、なかなかいいところがなくうんざり、
しかたなくガンガー沿いのホテルの1階の部屋、120ルピーに決める。

シャワーを浴びてから、再びダシャーシュワメードガートに戻るが、すでにアミの姿は見えない。

その後、街を歩いてぶらぶら。
市内の大通り。

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昼飯(68ルピー)をとり、リクシャー(15ルピー)で南部にあるバラナシ大学に向かい、
大学内のインド美術館(撮影100ルピー、入場50ルピー)
とヴィシュワナート寺院(無料、東向きの光線がよい)を見学する。
寺院前で飲んだラッシーはなかなか新鮮な味、10ルピー。

ヴィシュワナート寺院。

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3時前に、歩いてガンガーにかかる浮き橋を渡りラームナガル城へ移動、入場12ルピー。
途中スラムの子供たちがたくさんいて、行き帰りとも喜捨をいっぱいとられる、実にまいった
ガンガーにかかる浮き橋。

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ラームナガル城。

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帰り歩き疲れた所でリクシャーに乗りバーラトマーター寺院に向かう、70ルピー。
途中、リクシャーが車に追突されて客席から弾き飛ばされ、
危うく転倒するところ、なんとか無事着地。

4時半前にバーラトマーター寺院到着、入場無料だが撮影は10ルピー。
ここは堂内に大きなインドの立体地図があり、これが祀られている。
762枚の白大理石で造られた巨大な地図は見応えがあり、インドの地形がひとめで見て取れる。

バーラトマーター寺院。

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6時前にホテルに戻り少し休憩後、再び船を借りて(150ルピー)
ダシャーシュワメードガートで日没から行われるプージャー(礼拝)を見学する。
正面から見れる船のほうがいいと思ったのだが、蚊が多いのにはまいった。
いささか距離が遠いこともあり、途中で船を降りて地上でストロボを使い撮影する。
プージャー(礼拝)は神秘的でよかったが、観光客の多さにはまいった。

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8時前に夕食(70ルピー)をとり、9時にホテルに戻るが、
蚊の多さに一晩中眠れない、宿の選択を誤ったみたいで大失敗だった。

インド取材記、アグラ3日目・ファテープル・スィークリー 2月22日分。


夜中5時に一度起きて宿の屋上に上ってみる、
満月は綺麗に見えていたが、やはり距離があるとタージマハルは全然見えず。

朝7時起床、今日はすぐ近くのレストランでウェスタンスタイルの朝食を取る。
展望がよい屋上と違い、眺めがいまいちの分安い、30ルピー。

洗濯を受け取り、出発まで荷物をロッカーに預かってもらい、
8時15分にオートリクシャーで、郊外にあるもうひとつの世界遺産ファテープル・スィークリーへ向かう。
往復500ルピーをねぎって400ルピー、バスでいくこともできる。

9時45分到着、駐車場20ルピー。
ファテープル・スィークリーは、アグラの南西39キロにあるムガル朝第3代皇帝アクバル帝の城跡だったが、
水不足のため、たった14年しか使われなかった夢の都。

モスク地区(無料)と宮廷地区(5ドル)に分かれておりかなり広い。
モスク地区のブランド門(勝利門)を含め、全体的には昼頃の光線がよいが、
宮廷地区のパンチ・マハル(五層閣)は午前中の光線がよい。
内部にはやたらとガイドが多くかなりしつこいが、チップは10ルピー程度。

ファテープル・スィークリーのモスク地区のブランド門(勝利門)

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ファテープル・スィークリーの宮廷地区のパンチ・マハル(五層閣)

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11時20分帰路につく、運転手はやたらと高級レストランや土産物へ連れて行こうとするが、
時間がもったいないので、400ルピーに2ドル追加で交渉、まっすぐホテルに戻る。
昼飯(60ルピー)の後、すぐ近くで行われている文化芸術フェスティバルを見に行く。
いろんなバザーが出ていて、スナップをいっぱい撮ってしまった。
バザールでのスナップ。

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会場では、企画スタッフらしい男たちから写真を撮ってくれと頼まれる。
「踊りとかはやっていないのか」と尋ねると、そのうちの一人が、
室内でやっている地元の人たちのダンスイベント会場に案内してくれた。
その後もそばについて何かと親切にしてくれたが、
「列車の時間がせまってきたので、行かなければならない」と言って、
帰ろうとすると出口までついて来て、チップを要求されたのにはがっかり。
スーツを着てそれなりにいい身分そうだったのに、「お前もか」っていう感じ。

3時すぐにオートリクシャーで駅に移動、60ルピー。
夕食用にキオスクでサンドイッチ2つとジュースを買う、40ルピー。
4時20分、予定を20分遅れて列車到着。
今日は初めての夜行列車泊になる、2A寝台で950ルピー程、バラナシまで約13時間。

インドの列車は客車間の行き来が出来ないので、
違う客車に乗ってしまうと次の駅で乗り換えるまで席がない。
客車数が多いうえ、乗り換えの時間も少ないので、
ホームの中ほどで通り過ぎる客車ナンバーをチェックしていたのにもかかわらず、
見落としたのか乗る客車の方向と反対方向に行ってしまい、
乗る客車が見つからずあわてて引き返す。
その際、駅に居る荷物運びの赤服のポーターが、頼みもしないのに勝手に先導。
なんとか乗る客車には間に合ったが、ポーターの「チップくれ」口撃にはうんざり。
しかたなく30ルピーを払う。

自分の指定席には、インド人学生たちがいっぱい座っていて、
チケットを見せると周りの席に移ったが、どうも次の駅まで無賃乗車しているみたいだった。
そのうち慣れてきて少しづつ話し始めたのだが、
しだいに日本に対する質問攻めがはじまり、最後には日本の歌まで歌わされるはめに。
インドでは、否応なしに出会いがやってくる。

5時半頃、次の駅に到着して学生たちがみんな降りて行くと、
車内は打って変わったように静まり返ったので、
カーテンを閉めて横になる、夕日がとても綺麗だった。

7時前にやっと検札がすんだので、夕食後就寝。

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